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2014年3月

2014年3月24日 (月)

幼年期の終わり

5~6年ほど前から定番になっていた、娘とのクリーニング屋帰りの砂場遊びに久しぶりに興じる。
 
トンネルを掘って、道路をつなげて、トンネル上を立体交差道にしていくと、ちょっとした土地開発事業気分。
この遊びをしていると土地開発というのが欲望増殖するものだと感じる。
もう疲れたと思っても、休憩して全体を眺めていると、また新道を造りたくなってくる。
 
 
視線を上げるとスカイツリーの上半分が見えるこのこじんまりした公園は、30数年前に造られたらしい。
僕が移転してきた10年ほど前は、ゲートボールコート以外は打ち捨てられた印象で、近寄りがたかったが、徐々に再整備され、最近、高齢者向けの運動具一式が新設された。
一方、他の公園も含めてゲートボールをする人を見かけなくなって久しい。団体競技は人間関係が悪くなると、廃れたんだっけか。
10年も経てば、高齢者のニーズも変わるものだ。
時代はどんどん先に進んでいく。
 
 
我が家では、娘の「自分の部屋がほしい」とのニーズに対する母親の片づけ指導が奏功し、幼年期に遊んだモノたちとの決別が加速度を上げている。
つい先日は、ついにノートPC風玩具「おしえてプリキュア5 GoGo!」も娘自身の意思で処分されてしまった。
(親父だけが心の中で涙を流していたのは言うまでもないw)
 
幼年期と決別できずに、少年期、青年期、そして中年期とモノを貯め続けてきて、自分が子供のころに遊んだ玩具で娘と遊ぶことが、数少ない慰めになっている50間近の厳父としては、この状況は自身の存在を脅かすほどの危機感になっているw
いま、この文章を打っている部屋のみに自分のモノを収納し、かつ寝床を確保するためには、おそらく所持品を半分にしなければならない。
その量は、押入れふたつ分ぐらいになるだろうか...。
生きている実感の少ない僕のような人間にとっては、それまでに接してきたモノ達だけが、自身の存在証明になるような・・・などと大げさなことを言いたくなるくらいの自分にとっては、これをアイデンティティクライシスといわずになんと言おうか(火暴!!)
 
 
そんな気分の中で、身長も伸びた娘を公園で眺めているうちに、
この砂場遊びも、あと何回できるのか。
もしかすると、これが最後になるかもしれない。
などと感じて、ケータイにこの文章の前半を打ち始めていた。
 
表層の砂をシャベルで削りながら造る砂場の道路は、湿った層が露出することで色の違いにより道らしく見えるのだが、乾くとその色の差が消えてしまう。
 
それが、廃墟のようで、砂漠に消える都、バラージのようで、余計に物悲しくなってしまうのであったw
 
 
(こんな感じ。写真は1年半くらい前のもの。今日のはもっと本格的だったw)
Sunaba_3


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