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2017年8月21日 (月)

3度目のウルトラ熱(極私的ウルトラ遍歴あるいは財団B一派による周到な調教)

ウルトラマンジードにはまっている。
 
ウルトラシリーズにはまるのは3度目である。
それもすべて大人になってから、かつ断続的であり、生粋のウルトラファンではない自分のいまのはまり様は戸惑いを覚えるほどであり、ちょっとまとめておきたくなった。
 
いつものことながら自分語りであり、情報価値はないが、ごくまれに共感を持つ人がいなくもないかもしれなくもないかもしれない、くらいの話である。
 
平成3部作の頃、ニフティで<はすみ>という人を知っていた人には、「あの人は、いま」的に懐かしんでもらえるかもしれない。(←知るか!)

 
・・・・・・・・・・
 
ジードありえない、という人もきっと多いだろうな、と思う。
 
同世代のウルトラファンの多くは、そもそもゼロ&ベリアルという存在がありえないんぢゃないだろうか。
自分がそうだったからなんだけど。
 
 
個人的には、そもそもメビウスに癒されるまでは、ウルトラ兄弟およびそれにまつわる設定や演出自体にネグレクトされた感があって、第2期ウルトラシリーズは観てはいたけれど、好き、というのとは違っていた。
さらに言えば、その数々の企画倒れや設定変更などは、「大人は信用できない」(ひいては他人は信用できない、さらには自分も信用できない)という認識の下地をつくるのに貢献したとさえ思う。(これはウルトラに限った話ではないが。)
 
ウルトラマン80は第二期との比較で「ちゃんと作ってる感」から(オタ予備軍の中学生らしい上から目線の)好感をもてたが、やっぱりあれもあれで...ね。
 
 
て、初めて自覚的に好きになったウルトラマンは、すべての設定をチャラにしたティガだった。三十路でのウルトラデビュー。
 
いや、その前も、三上博史がジッソージ演ったの(89)とか、香川照之が市川森一演ったの(93)とか、資エネ庁のタイアップ(94)とかをつい見ちゃうような刻印は押されていたんだけど。(主に兄姉から譲り受けた資料の影響)
 
いま書棚を視て、一つの疑問。定期的に『宇宙船』を買っていた1984年初頭までと、再開した1996年秋までの12年余りの空白期間のなかに、ぽつんと1991年夏号があるのだが、内容を確かめても、どの記事が読みたかったのか、まったくもって思いあたらない。(閑話休題)
 
いわゆる平成三部作は、パソ通をやりはじめた頃だったこともあり、フォーラムでの夜毎のネタの応酬で愉しみが加速され、最初のウルトラ熱としてガイア終了までつづく。
 
しかし、一呼吸置いたコスモスはほぼ素通りしてしまった。熱も冷め、なんか、もういいか、という感じだった。
同時期の平成セブンにも興味はあったが、結局いまだに一つも見ていない。
所詮は、一過性のブームであったといわざるを得ず、当時遊んでくれたちゃんとしたファンの方々には顔向けできないという後ろめたさがある。
 
 
2004年のNプロジェクトは気になりながらも縁がなくて、マックスとメビウスはたまに...というところで、「思い出の先生」「エースの願い」。
これで過去のわだかまりがすっかり浄化された。やっと人並みに、幼少期に視ていたウルトラシリーズと折り合いをつけられるようになった四十路であった。
このメビウスの後半から2008年の大決戦!超ウルトラ8兄弟までが、第2のウルトラ熱。
 
娘が幼稚園に通っていた時期で、たのしい幼稚園とか買っていた影響もあるし、その流れでニチアサを視はじめた相乗効果でもある。
 
だから、その頃に大怪獣バトルというものがあったことも知ってはいたがBSを視る環境はなかったし、続く「セブンの息子」に至っては「何の冗談だ?」としか言いようがなかった。
そのくせ「その凶悪な顔はセブンじゃなくてSEVEN Xだろ!」くらいの中途半端な突込みを入れるぐらいの認識はあったのだが...。
 
いまにして思えば大変申し訳ないことだが、ゼロががんばってシリーズを存続させていた2009年から2012年は、完全にノーマークだった。仮面ライダーWからフォーゼまでの時期なので、そっちは視てたんだけどな。
 
 
で、きっかけはまったく覚えていないのだが、2013年7月のウルトラマンギンガ開始である。
これを前夜祭というべき新ウルトラマン列伝第1話から視ているんだな。なぜだろう?なぜかしら?である。
 
そのギンガのあまりのあれさ加減に、なんというか、情をほだされたような...? 
ネオスのレベルだと、いたたまれなさがあるのだが、もうギンガまでいってしまうと、自分だけでも好きでいてあげなっきゃみたいな感じだったし、スパークドールズは、コペルニクス的だと本心から感心したし。
 
その流れで列伝を録画するようになり、サーガ分割版の「アスカ記念日」に「ええ?そんなのあったの?!」ってなって観ているうちに「このゼロってやつ、うるせーなぁ」と思いつつ、いつの間にか耳が慣らされて、といった流れだったかな?
まぁ「大怪獣ラッシュ」とかも「今どきはこーゆーのもありなのかぁ」と、すっかりご隠居的な感心の仕方で眺めていて免疫ができてしまったというのもあるんだが。
 
 
そして満を持して登場してきたエックスは掛け値なしに面白かったし、ちょうど娘がポケモンからウルトラ怪獣に興味の対象が(なぜか)移って参戦してきた相乗効果で盛り上がり、続くオーブはもうこれでもかってくらいに振り切ってたうえに、どんどん娘がはまっていくし、というところで、ゼロクロに突入。
 
 
最初は抵抗のあったゼロとベリアルの大げさな芝居も、2巡目となると、もう「こういうもん」として、いつのまにか登場キャラクターへの思い入れまで出てくるのが不思議で、完全に地ならしされたところでのジード登場となるわけで...。
あの展開スピード感とエモイ演出、緻密なミニチュアワーク見せつけられちゃったら、あーた! ってなもんですよ。
 
 
時系列はやや前後するが、それまではバラエティ化されたウルトラマンがほんとうに苦手だったし、ギンガ以降のドラマに出てくる宇宙人たちのコント的演出も引き気味に見ていたのだが、もうこの春頃にはすっかり慣らされて(馴らされて)、娘に勧められて見た「ウルトラゾーン」(地方局での再放送)も、動画で見たゼアス&ナイスの漫才にさえも笑えるようになってしまっている自分に驚かされた。
 
 
とまぁ、こうしてまとめてみると、財団Bにすっかり調教されてしまったということなのかもしれないが。
 
 
でも、毎週の楽しみができたんだから、それも娘と共通の楽しみなんだから、それでもいいよね。
「こだわりがない」ってことは、精神の自由ってことで。
本来の視聴ターゲットであった時代のこじらせから、やっと解放された五十路のいま、という感じである。
 

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