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2017年10月

2017年10月29日 (日)

ヒーローショーのこと/「ウルトラマンジード」第17話、ドンシャイン・ショー回想シーンの感動から我が身を振り返る

子供の頃にヒーローショーを観た記憶はあまりない。
 
おぼろげに覚えているのは、小学生の時、商店街のスーパーの屋上で。
 
すでにすれていたので、屋根の上でジャンプ→身を屈めて見えなくなる→ステージ横のドアが開いて、同じ格好の人が颯爽と現れるという「トリック」を見て(おお、そう来ますか)みたいな感想をもったぐらいで、誰のショーだったのかさえ覚えていない。
 
 
もうひとつは、ショーというかイベントで、トリプルファイターとのツーショットを缶バッジにしてもらうもの。
小学校に上がる前のはず。池袋のデパートだった気がする。
 
早瀬3兄弟妹合体済みのトリプルファイターがイスに座って、その膝に乗せてもらっての撮影で、彼は階段をかけ上がってきた後だったからなのか、たいそうな腹式呼吸を背中に感じたのをはっきりと覚えている。
トリプルファイターも呼吸をするという人間味を感じたことは、どちらかというと好い記憶として残っている。
 
 
次の記憶となると、ウルトラマンティガにはまった三十路でのウルフェスで、そのステージの進化ぶりに仰天したものである。
 
同時期にスーパーのエントランスで観たものは、それなりだったが、集まっている子供たちの反応があまりにもピュアで、そっちに驚いたような気がする。
 
 
それから少し間が空いて、娘が小さかったときに公営体育館でゲキレンジャーショーを観た。
このときは、娘の怖がりようや、周りの子どもたちの熱狂という成果に対し、仕立てが簡素であっても、ヒーローショーが人の心を動かす演劇の一形態として成立しているということを改めて認識した。(うそです。その時に感じたことをいま言語化するとそんな感じかな?というだけです。)
 
 
そして、娘が立派なマニアに育ってから一緒に出掛けるようになった昨今。
 
ウルフェスの大掛かりなステージはもちろん、ショッピングセンターの寸劇でも・・・たぶん本気で目を輝かせちゃってるんだろうな、健全な幼少期を送らなかったこのおっさんは。


「君のヒーローは?」:「はなわか」のリーダーに訊かれて困惑した話から

20代の頃に仲良くしてもらっていた「はなわか」というバンドのリーダーから「蓮見にとってのヒーローって誰?」と藪から棒に訊かれて困惑したことがある。
 
彼にとってのヒーローは、ギタリストの誰かだったか、子供の頃の近所のお兄さんだったかのような気がするが(後者は、彼の知人のヒーローだったか?)、こちとら実在の人物をヒーロー視したことが一度たりともなかったので、会話が繋がらなくなってしまった。
 
僕にとってのヒーローといえば「ヒーローと設定されているもの」のことで、自分の実生活上の主観としての「マイヒーロー」という概念がそもそもなかった。
 
例えば宇宙刑事シャリバンこと伊賀電がどれほど好きでも、それは「好きなヒーローキャラクター」なのであって、己の行動に変容をもたらすような、質問者が想定するところの「ヒーロー」ではない(日常生活の中で唐突に変身ポーズを真似るという意味では、行動に変容はもたらされているが)。
 
 
さて、ここまで過去形で書いてきて、それならいまは?
 
と、考えてみたんだが、やっぱり思いつかない。
 
 
齢の離れた兄姉をもつ末っ子で、つねに自立したいと願って育ってしまったからだろうか。
自分を認めてくれる人の役に立ちたいとは思うが、ついて行きたいとも真似したいとも思わない。
命令されるのはもちろん、導かれるのも、ヒントを出されることすら嫌なへそ曲がりである。
いつも誰かに助けてほしいと思っているくせに、素直に頼ることができない。
 
 
ストラングラーズの「No More Heroes」に、「それ!それだよっ!」と共感してしまったメンタリティをもちながら、三十路になって「特撮ヒーローもの」が好きなことを再認識したときに、座りの悪い思いをしたこともあったが、「ヒーローもの」が好きなのは、現実にヒーローを求められないからなのかもしれない。
 
 
my favorite song:
「空気吸うだけ」(高橋幸宏)
 
 

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