最近のトラックバック

« 3度目のウルトラ熱(極私的ウルトラ遍歴あるいは財団B一派による周到な調教) | トップページ | ヒーローショーのこと/「ウルトラマンジード」第17話、ドンシャイン・ショー回想シーンの感動から我が身を振り返る »

2017年10月29日 (日)

「君のヒーローは?」:「はなわか」のリーダーに訊かれて困惑した話から

20代の頃に仲良くしてもらっていた「はなわか」というバンドのリーダーから「蓮見にとってのヒーローって誰?」と藪から棒に訊かれて困惑したことがある。
 
彼にとってのヒーローは、ギタリストの誰かだったか、子供の頃の近所のお兄さんだったかのような気がするが(後者は、彼の知人のヒーローだったか?)、こちとら実在の人物をヒーロー視したことが一度たりともなかったので、会話が繋がらなくなってしまった。
 
僕にとってのヒーローといえば「ヒーローと設定されているもの」のことで、自分の実生活上の主観としての「マイヒーロー」という概念がそもそもなかった。
 
例えば宇宙刑事シャリバンこと伊賀電がどれほど好きでも、それは「好きなヒーローキャラクター」なのであって、己の行動に変容をもたらすような、質問者が想定するところの「ヒーロー」ではない(日常生活の中で唐突に変身ポーズを真似るという意味では、行動に変容はもたらされているが)。
 
 
さて、ここまで過去形で書いてきて、それならいまは?
 
と、考えてみたんだが、やっぱり思いつかない。
 
 
齢の離れた兄姉をもつ末っ子で、つねに自立したいと願って育ってしまったからだろうか。
自分を認めてくれる人の役に立ちたいとは思うが、ついて行きたいとも真似したいとも思わない。
命令されるのはもちろん、導かれるのも、ヒントを出されることすら嫌なへそ曲がりである。
いつも誰かに助けてほしいと思っているくせに、素直に頼ることができない。
 
 
ストラングラーズの「No More Heroes」に、「それ!それだよっ!」と共感してしまったメンタリティをもちながら、三十路になって「特撮ヒーローもの」が好きなことを再認識したときに、座りの悪い思いをしたこともあったが、「ヒーローもの」が好きなのは、現実にヒーローを求められないからなのかもしれない。
 
 
my favorite song:
「空気吸うだけ」(高橋幸宏)
 
 

« 3度目のウルトラ熱(極私的ウルトラ遍歴あるいは財団B一派による周到な調教) | トップページ | ヒーローショーのこと/「ウルトラマンジード」第17話、ドンシャイン・ショー回想シーンの感動から我が身を振り返る »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/214346/65979480

この記事へのトラックバック一覧です: 「君のヒーローは?」:「はなわか」のリーダーに訊かれて困惑した話から:

« 3度目のウルトラ熱(極私的ウルトラ遍歴あるいは財団B一派による周到な調教) | トップページ | ヒーローショーのこと/「ウルトラマンジード」第17話、ドンシャイン・ショー回想シーンの感動から我が身を振り返る »