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2018年6月16日 (土)

なぜ、頭の良い人に買いかぶられ、失望される、を繰り返すのか。その考察。

「ぼくは頭が悪い。」
 
いまは、断言できる。
 
先日、職場で同僚たちと「雑談する訓練」をしていたときに、なぜ自分が「頭のいい人たち」に買いかぶられ、そして失望されるのか、メカニズムがわかった気がするので、書き留めておこうと思う。
 
僕と同じような仲間も、きっといると思うし。
 

 
要するに、かつて脈略なく喰い散らかしたニッチな知識の残滓が、その脈略のなさゆえに知識の広さに勘違いされるということと、ときに早口に、ときにゆっくりと話す口調が、頭よさげに、他者の目に映ってしまっているらしい。
 
 
知識欲は、そこそこある方だと思うし、調べごとが好きだから、ときどき自分のなかになんらかのブームが沸き起こると、徹底的に調べる。
 
...しかし、すぐに忘れる。
 
それでも、その残滓があちこちに点在しているから、人と話をしていると、スイッチが入ってアウトプットされる。
ただそれだけである。
 
体系だった広範な知性なんてものはないのに、頭のいい人は、勝手に複数の点と点をつなぎ、面にしてしまうようなのだ。
要するにそこでは、たまたま地球からみると同じ方向にあるだけの、奥行きを考慮したら何の関係性もない星々を、星座として物語まで付加してしまうような、そんな働きが、彼らのなかにあるらしいのである。
(奥行きすら想像しまう人もいるかもしれない。だとしたら、とても恐ろしいことだ)
 
そのような補正をせずにいられないほどまでに、頭のいい人にとって、僕という存在はカオスなのかもしれない。
だから数奇者な人ほど僕のことを面白がり、まじめな人からは嫌われることが多かったのだろう。
 
「教養のなさ」は、いちばんのコンプレックスなのに、そいういうと嫌味にとられるのは、ほんとしんどい。
 
 
早口になるのは、オタク気質からであって、頭の回転が速いわけではない。
ゆっくり話すのは、言葉を思い出すのに時間がかかるから。
 
それが織り交ざっただけな状態を、まさか人が「知的」と思うなぞ、夢にも思わなかった。
 
 
ただし、30代の頃、いきなり頭の回転が速くなり、自分でもついて行けなくなるほどになったことはあった。
その不安を「アルジャーノン・カタストロフ」という歌詞にしかけたこともあったくらいなのだが、案の定、その回転速度はいつしか遅くなった。
一過性の、あれは、何だったのだろうか。
長時間労働による生命の危機から、走馬灯効果が働いたのだろうか?
 
 
こどもの頃は、大人に向っていっぱしなことを言うもんだから、かしこいと勘違いされる(そして嫌われる)ことがままあったが、齢の離れた兄姉がいるからなだけであって、漢字を覚えるのも、九九を覚えるのも遅かった...ということは、割と最近思い出したことだ。
計算は、いまでも苦手意識が強く、何度も検算するので時間がかかって仕方がない。
複雑な数式は、ビジュアルとして美しいと思うが、まったく理解できない。
 
そうそう、教師という人たちからはよく、「頭がいいと思って、バカにしている」みたいなことを言われたが、そんなつもりは毛頭なかった。
 
これも最近、「あなたのプレゼン資料は、頭のよさをひけらかしているようで、聴く人にとっては、バカにされた感じに映る」といわれて思い出したことであって、すっかり忘れていた事実だ。
 
僕にだって、人をバカにすることほど頭の悪いことはないという認識と、人をバカにするほどには頭は悪くないというくらいの自負はある。
 
 
僕のような頭の悪さには、利点もあったと思っている。
 
理解するのに時間がかかるから、時間をかけて考える。
理解が速い人に比べて、早合点は少ないかもしれない。
(ただし、時間的な制約があると、パニクってしまい、お手上げである)
 
そして文章を読むのが苦手な人と同じ目線に立てるから、他人の書いた文章をわかりやすくなおすという職業が、はまったのだと思う。
要するに、自分自身が課題を抱えた「リードユーザー」だから、解決方法が見つけやすいのである。
 
 
いっぽうで、最近は、自分で考えたことを、ビジュアリックに伝えるプレゼンテーションをする機会が増えたのだが、これがぜんぜんダメである。
 
客観視できないし、正しく伝えようとすると、要約できず、文字たっぷりになる。
とにかくOKがでるまでに、時間がかかる。
 
そのほか、リアルコミュニケーションで人を導くことが求められる仕事が増えてしまったのだが、それが苦手だからこそ、時間をかけて推敲できる文章を書く仕事に活路を見出したような人間なわけで、うまくできるわけがない。
 
ライブのMCは、年月をかけて「ぐだぐだであること」を芸風に、「苦笑を呼ぶこと」を快感に変換できるようになったので、苦ではないのだが、仕事ではそれが許されないので、ほとほと困っている。
 
あとは、処世術か。
大きな組織のなかで生き抜くための情報戦とか、気配り、気働きとか、まったく理解ができない。
たぶん大きな組織だけでなく、小さな組織でも、社会全体でも、見知らぬ同士でも、人づきあいの知恵、みたいな面での頭の良さも、まったくダメである。
 
 
...と、数年前までは、「生活力はないけど、仕事だけはできる人」と、自負していたのだけれど、それはあくまでも自分に向いている仕事だけをすることが許されていたからであって、いわゆるビジネスマンとしての仕事をするうえでは、頭の悪いへっぽこだということを、認めざるを得なくなってしまった今日この頃なのである。
 
もう、ひとつもいいとこないぢゃん。
 
 
それなのに、頭がよいかのように勘違いされ、必死で期待に応えようとするのに失望され、ときにはバカにしてるのかと言われ、それでもまたかいかぶられ...の繰り返しの日々が続くのである。
 
 
このループから抜け出す方法がまったくわからない。
 
ぼくは、頭が悪い。


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